2009年7月17日金曜日

豎崎路の今と昔

豎崎路の今と昔

文/阿妹茶樓負責人阿妹
 

木の下駄を履いて歩く時の「キッキッカンカン」という音は、台湾語の「豎崎(キーカー)」に似ていたため、この名前がつけられた。地元のおばあさんの話によると、ここは昔バーが大変多く、日本や韓国から来た女性も多く働いていたとか。中華民国六、七十年代、金が取れなくなったため豎崎路の人々は皆出稼ぎに出て、老人と子供と猫だけがここに残った。その閑散とした中に美しさを見留めた侯孝賢は、後に国際的に知られるようになる台湾映画《悲情城市》をここで撮影した。また、日本アニメ界の巨匠宮崎駿はこの豎崎路上の阿妹茶館で四、五時間座って筆を動かし、映画の一幕一幕を描き上げたという。両親が豚になってしまうシーンの背景の提灯や飲食街、白い龍が窓から銭湯に帰ってくる様子、顔なしのモチーフ…《千と千尋の神隠し》の中に山城茶楼の影を探すのは難しくない。